秋川渓谷について
江戸時代より続く 菓子処桝屋 » 秋川渓谷について
秋川渓谷
川でバーベキュー、山でハイキングなど身も心もリフレッシュ。秋川渓谷は季節に合わせて景色を変える山々を有し、美しい自然を楽しませてくれる、心休まるふるさとです。
清流にはアユやヤマメ、カワセミなどの姿も見られます。周辺地域には、のらぼう菜、栗、トウモロコシ等の農産物や蕎麦、秋川牛、醤油、日本酒などの特産品も豊富で、美味しい食事処で満腹を楽しめますし、お土産にもご利用いただいています。
森がつくり出す清らかな空気に包まれて、ゆったりとした時間の中に身をゆだねてみませんか。
周辺の観光名所
ここでは近隣の観光名所をご紹介してまいります。
瀬音の湯
川遊びや山歩きを愛好する人々に愛されている、自然の宝庫。
秋川渓谷と養沢川の交わる森の中にあるのが、「瀬音の湯」です。
秋川の清流のせせらぎと野鳥のさえずりを聴きながら、豊かな緑に抱かれた癒しの空間でゆっくりとおくつろぎいただく事ができます。
また地元の野菜やお菓子などの特産品、職人さんの手づくりの工芸品等、たくさんのお土産が揃っています。
五日市憲法の碑
昭和43年に、五日市の旧家深沢家土蔵より発見された憲法草案が「五日市憲法草案」です。五日市近辺の青年たちとともに,小学校教員千葉卓三郎が作成した全編204カ条にもおよぶ草案です。
それを記念する碑が、市庁舎前に建てられています。碑には6ケ条の草案を抜粋し記されています。
阿伎留神社
平安時代初期の延喜式名帳に、武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられる武蔵国内著名の古社です。
鎌倉時代以降、武将の崇敬もあつく、源頼朝、足利尊氏などからそれぞれ神領が寄進されていました。江戸時代には、徳川家康から御朱印10石が寄せられ、当時から行われた9月末日の祭礼は今日も盛大に挙行されております。
お神輿は屋根と胴が六角形で構成されており、大変貴重です。
南沢紫陽花園
武蔵五日市駅の北側で林道伝いに約3キロほど山に入ったところにある深沢地区の南澤林道には、約500メートル程続くあじさいの道があります。梅雨の時季でも紫陽花に周りをつつまれると、雨も風情ある趣きに見えてきます。
周辺には他にも、秋川橋河川公園、国際マス釣場、つつじが綺麗な金毘羅山、大桜で有名な光厳寺、秋にはイチョウが美しい広徳寺など、多くの観光名所がございます。
近隣縁の著名人
近隣には秋川の自然に魅せられた、多くの著名人や縁の方がいらっしゃいます。桝屋とも交流がある方たちも多数いらっしゃいます。
洋画家として有名な鈴木信太郎は、第二次大戦中に五日市に疎開をしておりました。その際に五日市の自然と触れ合い、多くの絵を残していらっしゃいます。
漫画「タンクタンクロー」の作者である阪本牙城は、五日市で生まれました。東京府立第二中学校(現在の都立立川高校)を卒業後漫画家となり、講談社幼年倶楽部に漫画を連載して人気を博しました。
小学生の時、五日市小学校の校章を作ることになり先生が阪本お前考えてこい…と、阪本少年は一夜にして図案を完成。現在の校章となっております。
晩年は水墨画に専念していらっしゃり阿伎留神社には水墨画で格調高く九月の大祭の様が絵と文との巻物で奉納されております。
「馬酔木」を主宰していらした水原秋桜子も五日市の山里の美しさ人情の温かさを愛し足しげく通われました。
鮎供養も地元の俳人、鮎釣り師とともに楽しまれました。
また文化勲章を賜わっておりその際、天皇陛下に当時の店主とのお話の中に出た鮎のお話をされました。普通の鮎は一年で寿命を迎えますが、お飾りをくぐった鮎(年を越した)がいる事をお話しております。
第1回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した萩原タケも、五日市の出身です。日本での看護婦のあり方に大きく貢献いたしました。
日本書道院創立者の一人でもある長谷川耕南もこの地域を愛したひとりであり多くの地域の人達に書の指導をされ、また多くの書を残されました。
五日市の勧能学校に中里介山は先生として羽村より通われており、五日市在住の神道無念流剣術師範酒井直治をモデルに机龍之介「大菩薩峠」を執筆したと云われております。
酒井直治の碑が当時の有志により名刹開光院に建てられております。
造形作家の友永詔三は、現在五日市に在住しております。灯りのオブジェ、裏彩色による木版画、モニュメントの制作、舞台美術など、精力的な活動を続けている作家です。
その他にも、多数の著名な方がいらっしゃいます。